肋骨物語

この前の大阪のライブで肋骨を骨折した。ソーコアファクトリーでのBODY ODD。
フロアにいるお前らを信じすぎたせいだ。鳥になれると過信させた音楽のせいだ。何よりオレのジャンプ力がすごすぎたんだな あはは

昨日は赤ひげ堂にいった。
代々木にある此処へはa腰をやった時からわりと通ってる。病院なんてレントゲンとって折れてますって伝えるだけ伝えて、安静ですってわかりきった答えしかくれない。その点、赤ひげ堂は電話口で事情説明したら「治る」って言い切りやがってくれた。
さすがに骨がひっつくとは考えられないけど役に立たない事実より胡散くさめのスピリチュアルの方がよっぽど救われる。

診察を受けてる間、色んな手をつくして3時間の集中治療コースで針にお灸、指圧に酸素カプセルとフルコースにやってやった。ただ東洋医学のわるいところ、やたらと内臓が悪いせいだと、理由をよせてくるのだけね、、、ううん。ちがうの。何度も説明した通りですけど、飛んだからです。おれぴーぽーだからさ。
診察台の上できしむ肋骨を感じながら天井を見上げる。

はじめて肋骨を折ったのは、というか折られたのは中学一年の頃、わかりやすいヤンキー漫画のように隣の中学の番を張ってた梅ちゃんに呼び出しを食らって肋骨を二本叩き折られた。彼はボクシングをしていた。忘れもしないね。東進予備校の裏の砂利の上で馬乗りにされて。こんな二月を前にした寒空の下だった。双方の中学のやつが周りを囲って、ツレは横でただ見ているだけだった。オレはその砂の冷えた匂いをよく覚えている。
梅ちゃんはやたらでかくて、腹はカチコチでパンチしてもビクともしない感じだったから割と序盤で勝てねーって思ったのを覚えている。

高校に入ると活動範囲がかわり、あまり会わなくなったが、久しぶりに駅前で見た時、でかかった梅ちゃんの身長は中1の頃と寸分と変わってなくて、オレと大した差のないタッパになってて、筋肉つきすぎると身長のびないのは本当なんだなって思ったのも覚えてる。

毎年、冬がくると、骨がその寒さを記憶しているのか傷がしくしくと痛む。その度に冬の日の午後を思い出す。

そうやって何度も思い出す。体は季節や時間を記憶している。
ふと金木犀が香って、通学路を思い出したり、夕焼け小焼けの鐘が鳴ってその頃遊んでた友達の口癖を思い出したり、脳みそよりもたくさんのことを感覚は覚えてる。
忘れられない人やこと、消えることのない古傷のように、そんな音楽がつくりたい。永遠につづく音楽よりちゃんと古くなる音楽を。その瞬間にちゃんと生きていたい。
それ以外に望むものなんかないはずさ。2018年の2月、たしかにそこにいる。たしかにそこにいたい。

其処カラ何ガ見エルカ

問い続ける。よし。


マヒトゥ・ザ・ピーポー

2009年 バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。
2011年沈黙の次に美しい日々をリリース。全国流通前にして「ele-king」誌などをはじめ各所で
ソロアーティストとしてインタビューが掲載されるなど注目が集まる。
2014年、kitiより2ndアルバムPOPCOCOON発売。
2014年には青葉市子とのユニットNUUAMMを結成し、アルバムを発売する。
2015年にはpeepowという別名義でラップアルバム Delete CIPYをK-BOMBらと共に制作、
BLACK SMOKER recordsにてリリース。
また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル、十三月の甲虫でリリースしたり、
野外フェスである全感覚祭やZINE展を主催したりとボーダーをまたぎ自由なスタンスで活動している。

GEZAN 公式サイト 

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